1487ページ目 写本で重文、原本なら国宝?

春にしては暑い日が続きますがそろそろ桜も散る時期になりました。

綺麗なんだしもっと長く咲いていればいいのにと思う人は昔からいて「花ちらす 風のやどりは たれかしる 我にをしへよ 行きてうらみむ」(素性法師)と詠む和歌があります。

桜を散らす風がどこから吹いてくるか誰か知ってるか?もし知ってたら教えて、文句言ってやる!的な感じの意味になります。

ただその一方で桜は潔く散るからこそ価値があるし散らない桜というのもまた興ざめだといった話も昔からあるものです。

「のこりなく ちるぞめでたき 桜花 ありて世の中 はてのうければ」(読み人知らず)と詠む和歌があって意味は桜はきれいさっぱり散ってしまうからよい、もし散らずにずっと咲き続けたら嫌になってしまうという意味です。

まあたしかに春夏秋冬ずっと咲き続けていたら目が疲れそうですね。

散った桜の花びらって掃除が大変だったりしますが春以外の季節も新たにつぼみを付けて咲くとしたらけっこう手間です。

 

今回取り上げた和歌ですがどっちも出典は古今和歌集です。

平安時代に選りすぐりの名歌を勅撰和歌集として編纂したもので1000年以上にわたって詠み継がれています。

平安時代から現代まで様々な文学者による解説や注釈もあって新古今和歌集を編纂した藤原定家古今和歌集の注釈書を執筆しています。

まあ「新」を編纂するぐらいですから元祖の古今和歌集の方もきっちり読み込むでしょうね。

さてその注釈書の原本が藤原定家の子孫である冷泉家の蔵から発見されました(毎日新聞記事「藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」」ヤフーニュース)。

写本が国の重要文化財に指定されるほど貴重なのですが藤原定家執筆の原本は長らく行方不明だったのです。

京都も応仁の乱明治維新の混乱があって重要な書物類が焼失することもよくある話ですからもう出てこないと多くの人が思っていたことでしょうね。

蔵の中で130年間ずっと眠っていたそうですが130年前というと1894年、明治時代で日清戦争をやっていたあたりでしょうか。

太平洋戦争敗北やバブル崩壊の混乱も失われた30年もずーーーーっと蔵の中に保管されっぱなしというのも感慨深いものがあります。

たしかに写本ですら重文なら原本は国宝に指定しないとバランスがとれませんね。

藤原定家本人の筆跡で紙も平安時代末期から鎌倉時代初期の藤原定家が生きていた時代のもので原本であるのは確実とのことです。

しかも本人が文章を推敲した形跡まで残されていて文章の訂正箇所だとか付箋の跡もしっかり残っているそうな。

当時は消しゴムや鉛筆なんて便利なものはありませんでしたし書き損じとかもありそうですがさぞや大変だったでしょうね。

墨に和紙ですから間違ったら余白に正しい内容を書いて訂正したり書き損じた箇所に付箋を貼って正しい内容を書き直したり色々面倒です。

900年前の書物が残っている、伝説級の歌人直筆という点でも十分国宝に値しますが本人の苦心惨憺の形跡まで残っているとなるとこれはすごいことです。

 

生原稿を残した藤原定家さん、かなり激情家でプライドが高く人を見下すかなり面倒な人だったようですが一方で相手が身分の高い格上の相手でも忖度しない人だったようです。

偉い人の勘気を被って謹慎を命じられたこともあったそうですが訂正した箇所の訂正する前はいったい何が書いてあったんでしょうね。

けっこう物騒な事がさらっと書いてあったりしてね。

そのあたりも現代の科学だったら付箋の下に何を書いたのかもX線か何かで墨を分析して書いた内容を特定できるかもしれませんが900年後に推敲前の内容まであれこれ研究される件について本人だったらどう思うでしょうね。

まあ死んだ後のことなんぞ知るか!と思う人もいますが定家さんの場合は明月記という日記を実に56年間も続けています。

そんな年数ブログで継続している人なんて見たことないです。

といってもブログは2000年前後に登場したサービスで50年どころか30年も経っていないので当然と言えば当然ですが。

藤原実資さんの小右記も後世に当時の有職故実を伝える貴重な資料、意思決定だとか儀式典礼祭祀など各種業務執行の際の前例としての価値があったわけですが実資さんと同じく定家さんも子孫のために当時の有職故実を日記として残したとの話もあります。

死後に本人の文章が広く伝わることは想定していたと考えるのが自然でしょうね。

しかし見られるのは身内だとか一部の弟子限定だと思っていた、原本があまりにも貴重過ぎて四散して他家の家宝にされてしまうことだとか訂正箇所まで研究されることまではさすがに想定していなかったはず。

もし本人が生きていたとしたら手間がかかっても別の紙に書き直した、見られたくない訂正箇所満載の原本に関しては死ぬ前にきっちり焼却処分して祐筆に書かせた写本しか残さなかったかもしれません。

大臣には届かなかったとはいえ正三位中納言、立派な公卿、雲の上の人ですし祐筆も紙も墨も十分用意できたでしょうにね。

全く死んだ後も油断できないものです。

 

まあ定家さんみたいなものすごい伝説級の文化人でなくても身内や弟子だとかに日記の類だとか文書類を残していくのであれば訂正箇所に関しても探られる可能性もないとも言い切れないですね。

作家や漫画家だったら未発表原稿が残ってないかだとか一般人でも何も遺産の処分について生前に話すことがなかったが遺言らしきものが残っていないかとか伝統芸能関係で口伝だけでは心配だったので何か文章の形で重要なノウハウの類が残っていないかとか色々ですかね。

残すものはちゃんと残すとして後世に残して不特定多数の誰かに見られても恥ずかしくないか。

PCで下書きを残すんだったらその下書きは読まれても問題ない内容か。

自分でも存在を忘れているような文章類は残ってないか。

紙で残すんだったら訂正箇所だとか消しゴムで消した跡だとかも調べられてあれこれ想像される、邪推されるリスクも考えておくのもいいかもしれないですね。

 

ああめんどくさい、そういうのも色々考えた末に全部ちゃんとやったらきりがないので清書せず推敲跡が伝わってくる原本が残ってしまったのかもしれませんね。