1459ページ目 お札のデザインと中央集権制

今年の7月3日から1万円札が福沢諭吉から渋沢栄一に変更になりますがこの話は既にどっかでやりましたので今日は裏面の話について。

1万円札はこれまで裏面に鳥のデザインが使われています。鳳凰とかキジですね。

聖徳太子から諭吉に代わっても裏面に鳥が使われるデザインは共通でした。

だからなんですかね財布からお金が飛ぶように消え去ってしまったのは。

飛ぶように流通してねという願いが込められていたのかもしれませんね。

 

さて新デザイン版の裏面に鳥はおらず赤煉瓦の東京駅となっています。

これはどう解釈したものか。

明治政府は中央集権制を強化した、鉄道網を通じて日本中の物流というか富が東京に集まり令和の現在に至るまで東京一極集中の布石となりました。

新1万円札で令和でも中央、東京にカネを集めるぞということなんですかね。

いやいや始発駅から全国にカネを届けるって?

全国で不採算の鉄道路線廃線が相次いでますけど鉄道が廃止されるほど過疎化が進んだ地方は切り捨てってことですか?

ジニ係数も拡大してますし新デザインのお札が果たしてどれだけ一般国民に届くんですかね。

お札の原材料の一つにミツマタがありますがミツマタ花言葉の一つに「肉親の絆」というのがありますけどお札がないと婚活どころか生活もままならないわけで家族を養うどころじゃありません。

ある意味お札こそは肉親の絆でありお札を取り上げる政府は肉親の絆の破壊者なのではないかと思えてきます。

 

ところでお札は「おさつ」ですけど「おふだ」とも読めますね。

「おふだ」というのは神社仏閣で取り扱っているご利益があるというあのお札です。

まあ実際のところご利益があるのかどうかは不明、病気が治ったりけがが治ったり失せものが出てきたとしてもたまたまであって神仏の御利益かどうかは不明ですけどその神仏がちゃんと信仰されていてお札に信用があればお札の御利益と認識されますかね。

まあ植物繊維から作られる紙である点と信用されていると価値があると認識される点は「おさつ」も「おふだ」も共通です。

信用がないと紙きれとしての価値しかなくなるわけですがだからこそ財政再建が第一だという人も出てきます。

 

…が、それはちょっと待てよと。

カネは天下の回りもので流通しないと役に立たないものです。

失われた30年では賃金が上がらず1万円札は偉い人の元に飛んで行ってしまいましたが一般国民の消費は盛り上がらずこの30年間で世界第4位のGDPにまで転落しましたし名目値だけみてもたいして経済成長できませんでした。

一部の大企業や政府及び日銀、富裕層がお札を死蔵してご利益を独占するからそんなことになるのです。

税収に関しても本来なら税率を上げなくても30年で他国並に2倍の水準になっていたはずであり少なくとも一般国民からご利益のあるお札を取り上げる財政再建は亡国の策と断言できます。

まあお金がなければ自給自足なり物々交換なり消費をしないということになりますけどお札というかお金は所有者の富の象徴であると同時に発行者の権力の象徴でもあります。

世界一の経済力と軍事力を持っている米国が発行するドルだからこそ世界中で決済手段として使われる、ただの紙というか電子データに過ぎないのにゴールドと同様に信用される、ありがたいお札として流通するのです。

これがその辺の一個人がお札を発行して1万円の価値があると言ったところでもちろん信用されません。

一部の信用力がある大企業は自社や提携先のサービス限定ですが事実上お金として使えるポイントを発行していますがそのポイントもまた発行する大企業の信用、権力の象徴であるとも言えます。

経営危機に陥った会社が発行するポイントなんて誰も見向きもしませんよね。

お札、お金、ポイントに依存している人はある意味それらを発行した人の信者さんとも言えなくもありません。

拝金主義者なんて強欲な人もいますけどお札を持っている人ほど発行者の意思に飲み込まれるという意味ではお札もお札も本質的に似ている、お札とは呪いのお札なんじゃないかと思えてきます。

金持ちほど現体制に擁護的になりたとえ政治とカネの問題があっても与党に投票してしまう、少なくとも現在の秩序の崩壊を望んだりはしないでしょう。

そういえばミツマタも昔は日本各地で栽培されお札の原料として使用されていましたが今では多くをネパールから輸入しています。

ヒマラヤの霊力をお札に練り込んで一般国民というか日本全体を発行者というか国家権力で支配するというお呪いの一種だったりするのかなと陰謀論的に考える人もどっかにいるかもしれませんね。

 

まあお金も一種の信仰の象徴という話なんですけどいいんですかね一般国民からお札を取り上げても。

それはつまり発行者を信じる人、信者さんを減らすことにつながるんですが。

誰だって現世利益は大事なわけで日本国の信用のありがたさを実感し社会を維持する必要性を認識してもらうためには発行者というか国家権力の象徴でもあるお札を一般国民に渡してご利益を実感してもらうのが重要です。

帳簿上の財政再建だけ考えたって実際には財政再建なんてできなかったことが失われた30年の停滞で証明されましたし財政云々以前に社会秩序の維持という観点から考えても増税は悪手としか言いようがありません。

財務省の人たちとか今どきの上級国民にはとても国家の運営を任せるわけにはいきませんね。

もっとも政府同様日本銀行が発行するお札を信用し過ぎるのもどうなのかとは思います。

何せ悪政に加えて国内外の情勢も何が起きるか分かりませんからね。

奈良時代平安時代も天災や疫病が流行するかなりヤバい時代で朝廷も銅銭を発行してますが今一つ信用されず一般国民の間では物々交換が主流でした。

日本で暮らすには日本のお札が必須ですけど天災でいつ電力や水道などライフラインが止まるかもわかりませんし日本円が暴落すれば電気代も暴騰するリスクもあります。

日本円を持っていてもどうにもならない局面に備えて自家発電だとか井戸水を使えるなら準備しておくのも一案です。

もちろん現代で物々交換なんてかえって難しいのでやはり日本円は必要不可欠ではあるのですが当面の消費に必要な分以外については別の形に変えておくのもよいかもしれません。

もっと世界を見て金のような世界中どこでも信用される現物資産やドルなど他の発行者が発行する通貨建ての資産を保有するのも検討に値します。

何が起こるかわからない世の中ですがお札を拝まなくても生きていける生活環境の確保も考えておきたいなと思います。