1432ページ目 納税は個人の自由?いいえ義務です

裏金問題が確定申告の時期に重なって未だ炎上中ですが税の大元締めである鈴木財務大臣がとんでもないことを言い出しました。

裏金に本来かかる税金の納税について「議員の判断で追加納税する可能性はある」と国会で答弁しています(カンテレ記事「『#確定申告ボイコット』が話題に 鈴木財務相「納税は議員が判断」に国民怒り 「納税って個人の自由?」」ヤフーニュース)。

 

この発言はネットで炎上していますがいったいいつから納税は個人の自由になったのでしょうか。

そもそも個人の判断で税金の支払いをやめるといった話は現代日本ではあり得ませんしそれを認めないのは財務大臣の立場で理解していないはずがないと思うのですが。

議員が納税不要と判断したら追加納税は必要ないということであればそれは税金とは言えないんじゃないかと。

日本国憲法では納税は国民の義務となっていますが個人の自由で納税しなくていいのであれば義務とは言えないでしょうね。

義務ではないんですから脱税自体も成立しなくなります。

 

税務署のポスター『脱税は、犯罪。脱税者は、見つかる。査察官は、見つける』も裏金議員の脱税は見つけないの?ということで問題になっていますが納税が個人の自由だったら脱税は犯罪という話は通りません。

国会議員については政治活動の自由で裏金を作り放題なので脱税者に当たらず査察官も国会議員の脱税は見つけられないということでしょうか。

 

もし一般国民が裏金議員と同じことをしたら厳しく罰せられます。

なお脱税の刑罰は10年以下の懲役、若しくは1000万円以下の罰金、又はこれらの併科、さらに事情によって、罰金の額は、脱税額を限度として増額される場合があります。

かなり厳しい罰則もあるのに国会議員の裏金については国会議員自身が判断する、追加納税するかどうかは議員個人の自由だと言うのでしょうか。

よりによって国税庁の上部組織のトップである財務大臣が真っ向から憲法の言う納税の義務を否定するんですからこの国には法治という概念が存在しないのではないかと思えてきます。

法治国家では租税法律主義に基づき法律で定められた税金が法律で定める徴収方法で徴収されますが国会議員の裏金について納税しなくてよいといった法律はどこにもありません。

当然に国は議員個人の判断でなくあくまでも法律に基づき裏金議員から税金を徴収しなければなりません。

裏金議員に納税しない自由がないのと同じく政府にも裏金議員から税金を徴収しない自由は存在しないのです。

 

税には長い失敗の歴史があり理不尽な重税で内乱が発生し多くの政権が革命で倒れていきました。

それらの失敗事例をアダムスミスら多くの学者が研究し税の基本原則ができました。

公平・中立・簡素です。

今回の裏金問題は税の基本原則の中でも特に公平性の原則に反しているのが明白です。

公平さには広く薄く属性に関わらず多くの人に負担を要求する水平的公平と負担能力の大きさに基づき負担を要求する垂直的公平があります。

国会議員だけ納税しなくてよいというのは特定の層だけ著しい優遇であり水平的公平に反します。

また所得水準も議員報酬も含めて数千万円単位で実質的な所得がある国会議員だけ納税しなくてよいというのも負担能力からすれば垂直的公平に反します。

革命以前のフランスでは富裕な特権階級の貴族や聖職者には税金がかからず平民に重税を課しました。

明らかに水平的公平と垂直的公平の両面から不公平な税制度ですがいつまでも続けられるわけがなく財政赤字を名目に平民に重税を課したのをきっかけに革命が起きたのは歴史が示す通りです。

議員は脱税、国民は増税という状況は正に革命以前のフランスとよく似ていますが法律も歴史も不勉強な善幸のドラ息子を財務大臣の椅子に座らせておくのは果たして国民の利益になるのか。

一般国民に適正な納税を促したいならまず財務大臣を取り換える、かつ、裏金議員からきっちり税金を徴収する必要があると思いますね。