1399ページ目 富を独占する竜と正義の剣を携えた英雄の話

今年は辰年ですがドラゴンと言えば竜退治です。
火を吐きながら宝物を独占するドラゴンを退治したベーオウルフの活躍を詠った英国の英雄叙事詩ベーオウルフ、巨額の黄金を溜め込んだドラゴン(ファフニール)を退治した竜殺しの英雄ジークフリートの伝説、カッパドキアで毒ガスブレスを吐き人々に生贄を要求するドラゴンを退治したキリスト教守護聖人ゲオルギウスの伝説、毎年村に降りてきて美しい娘を食らっていくヤマタノオロチ(オロチなので蛇なんじゃないか?とも思ったがやってることが悪竜と同じなので竜として扱うことにした)を退治したスサノオの神話、ドワーフやエルフ、人間たちの国を略奪して莫大な財宝を抱え込む火竜スマウグ等々古今東西で竜退治のお話はたくさんあります。


竜退治モノで共通しているのは富を独占したり生贄を要求したりする人間たちに害を与える存在だが神の加護や聖剣などを得た英雄によって倒されるという点です。
しかしドラゴンという存在はあくまでも架空の存在であり現実には存在しません。
もちろん架空の存在が宝物を独占したり生贄を要求したりすることもあり得ません。
にもかかわらずなぜ似たような筋書きの竜退治のお話が古今東西で出てくるのか。
竜と言うのはあくまでも例え話で実際には武力を持った豪族が平民から略奪して富を独占し生贄というか女子供を徴収して奴隷として扱っていたのではないかと思うのです。
非常識なレベルであまりにも手が付けられないのでその豪族は人外というか想像上の怪物であるドラゴンに例えられるようになったのではないかと。
もちろん富の独占をすれば恨みを買うのも古今東西共通でドラゴンのような豪族と言えども謀反で始末されました。
そして謀反か何かで豪族を始末した者を英雄が自身の功績を盛りまくって伝えようとした結果としてその豪族はいつの間にか人間でなく実際には存在しない架空の恐ろしいドラゴンになったのかもです。
実際スサノオによるヤマタノオロチ退治もヤマタノオロチヤマタノオロチという怪物でなく鉄資源を握る豪族だったという説もあります(歴史人記事「ヤマタノオロチの正体は「鉄資源を握る豪族」!? 『古事記』『日本書紀』に隠された真実とは」ヤフーニュース)。
世界各地の竜退治の伝説も似たような成り立ちだったのかもしれません。

 

歴史もあやふやな時代から富の独占者は「正義」によって退治されるのが人間社会の共通点だとしたら現代の富裕層たちはどうなんでしょうね。
ホビットの冒険」に出てくるスマウグはフィクションの話の中では世界一の富豪だそうです(らばQ記事「フォーブス誌が選ぶ「フィクション作品で最も金持ちなキャラクター」の資産総額を知って驚愕する人が続出」)。
推定資産514億ドルだそうです。1ドル150円だったら7兆7100億円ですね。
そんなスマウグも退治されましたが富を独占し他の存在を襲ったり搾取したりすればみんなの恨みを買うのは当然です。
竜退治のノリの「英雄」が「正義」の剣で「竜」を倒す、実際には強欲な富の独占者がテロリストの凶弾凶刃に倒れるだけの話ですがあまりにも困窮した人が増えれば現実に後者の出来事に過ぎないテロが前者のように祭り上げられる可能性もないとは言い切れません。
ドラゴンは架空の存在であり「英雄」も「正義」も所詮は現実を美化しただけの概念に過ぎないのですが貧乏で現実が苦しくなれば苦しくなるほど代替で現実を吹き飛ばせるようなファンタジー要素が受けるようになっていくのかなと思うのです。
竜退治の伝説が古くから語り継がれてきたのは為政者によって厳しい生活を余儀なくされる人々がいつか富の独占者を倒してほしい、苦しい生活から救ってくれる英雄を待ち望んでいる、今は貧乏人だが英雄のように富の独占者を倒して豊かになりたいといった願いが一般国民の中に根強くあったからではないか。


まあ竜を倒して自分が財宝を独占するという下克上願望では今度は英雄が倒されるべき竜になる(魔王でも可)的なお話もありがちなパターンです。
ドルアーガの塔の英雄ギルガメスもラスボスであるドルアーガを倒してバビリム王国の国王になったものの暴君と化しましたっけ。
竜退治はテロだけとは限りません。
あまりにも末期的な社会になってくると民主政治では古代ギリシャのように扇動政治家が出てきたりヒットラームッソリーニのような独裁者が出てきたりしますがこの人たちも最初は「英雄」として扱われていた人々でした。
「竜」も困るけど「英雄」も困るのです。


邪悪な竜ヴァラキアカを倒した「最果てのパラディン」のような高潔さと為政者としての有能さ及び有為の人材に恵まれた「英雄」だったら一般国民にとっては非常に暮らしやすい社会が実現するのですが「英雄」とて所詮は人の子です。
不死神スタグネイトの祝福というか呪いでもない限り寿命を迎えますが「英雄」に依存した社会は脆いものです。
「英雄」の存在は心強いのですが「英雄」に依存した組織は「英雄」がいなくなった途端に崩壊するリスクがある点で問題があります。
というか他に並び立つほどの実力者がいたり構成員全体のレベルが高く「英雄」とその他の実力者がもっと小さければ「英雄」も「英雄」と呼ばれることもなかったかもしれません。
実力云々だけでなく皆が悪行に走る中で一人だけ善行を継続し「英雄」扱いされるケースにしてもそもそも周囲が酷過ぎるから相対的にたった一人の善行者の名声が高まっただけでしかありません。
一強多弱の構図で「英雄」が出現するというのは組織にとってかなり不味い状況です。
最果てのパラディン」はそのあたりもちゃんと考えて無理はせず一般国民の経済活動を奨励しそれぞれ自立して生活できるような社会づくりはしているものの何せ危険と隣合わせの社会だし神の加護があるといっても絶対大丈夫という保証はないのです。

そしてまだ物語も完結していませんし「最果てのパラディン」がどうなるのかも未知数です。


国王が死んだ途端に手のひらを反したり弱みに付け込んで襲い掛かってきたりとか現実の歴史でもありがちな話です。
そういえば邪竜ヴァラキアカは作中でも最果てのパラディンに取引を持ち掛けていましたね。
人間と竜の寿命を考えれば先に死ぬのは人間で竜を服従させる英雄の寿命が尽きたり老いて竜を制御できなくなったら後はもう竜のやりたい放題です。
最果てのパラディンは邪竜ヴァラキアカの目論見を見抜いて取引に応じませんでしたが強大な竜の力を手に入れるという魅力に屈して転ぶ「英雄」も多いものですよ。


別のお話ですけどロマサガ3でも主人公が巨竜グゥエインと組んで世界の空を支配しロアーヌの街を襲う魔龍公ビューネイを討伐する選択肢も出てきますがそこで巨竜グゥエインと組んでしまうと悲劇になります。
ゲーム的には組んだ方が格段に魔龍公ビューネイの討伐が楽になりますのでこの方法で進めた人もけっこう多いかと思います。
強敵を共に倒し竜と英雄の間に友情は生まれるも所詮竜の本性は破壊の権化そのものであり巨竜グゥエインは魔龍公ビューネイがいなくなった後の空を支配し麓の村を滅ぼし財宝を略奪するようになりました。
もちろん主人公が止めても竜は改心する気がない、というか竜として生まれたが故の宿命を自覚していて本性のままに行動することをやめられず結局討伐されることになります。


世界平和のためにはどのみち竜の討伐が必要になりますが協力しないでさっさと竜も倒してしまえば麓の村も潰れることがなかったのにね。
なお麓の村が壊滅したのだからトーマスのトレードイベントで出てくるネッドのルーブ織工房とかヤーマス牧羊ギルドとかも被害が出ていても不思議ではないかと思わなくもありません。
実際にはロマサガ3の世界経済に影響はしませんが巨竜グゥエインが暴れて周辺のバンガードやヤーマスが潰れてトレードイベントでも被害があった街の物件が倒産したり世界経済が不況で物件収益がマイナスになったりする設定だったら巨竜グゥエインはさっさと討伐してしまうプレイヤーも多くなったかもしれませんね。


現実のお話に戻しましょうか。
たとえ話としての竜と英雄、色々と組み合わせは考えられますが国家権力と前途有望なエリート青年とかも当てはまりそうですね。

水清ければ魚住まずとは言っても現実社会では水質汚染が深刻な河川で水生生物の保護が課題になっているように濁った水こそ魚が住めない水だったりします。
蜃気楼の「蜃」は蜃気楼を作り出す伝説上の生物で一説には竜の一種とも言われています。
濁った水で魚は住めなくなったけど邪悪な蜃気楼を筆頭に邪悪な竜たちが集まり伏魔殿のような状態になったのが現代の清和会なのかもしれません。
森喜朗の読み方を変えて蜃気楼だなんて言う人もいますがその蜃気楼の若い頃の話が事実なら蜃気楼は筋が通った好青年だったということになります。
それが金権政治の世界で濁りに濁って清濁併せ呑むというか汚水をたらふく飲み干してこの世の穢れを溜め込んだ末に邪竜蜃気楼と化したのではないかと思えてきます。

蜃気楼のように実態がないつかみどころのない存在だったり蜃の表す竜のように強欲で恐ろしい存在しなってしまっていますが元々は英雄だったのに時を経て討伐すべき邪竜になってしまったというお話です。
国を変革するという志を持ち東大法学部から旧大蔵省財務省に入るも汚職だったり一部の上級国民だけに忖度した運営を行い民草を苦しめた挙句に本人は天下りでやめた後に荒稼ぎするエリート官僚もその類となります。
ウクライナ侵攻で棚ぼた利益を出して過去最高額の役員報酬をぼったくった住友化学の十倉君も邪竜の一角ですかね。
現実に力がなければ理想は実現できないと言うけれど問題はその力を得るのと引き換えに理想を失う点なのです。理想なき力とは邪竜そのものです。
若い頃に理想に燃えていた陸奥宗光もいざ権力を持つと古河財閥と昵懇になり足尾銅山鉱毒事件で田中正造の追及を意味不明として一蹴しています。
不平等条約の改正で多大な功績があったとはいえ親交のある大資本を守るために多数の被害者を出す公害を放置するのは大問題です。
21世紀になっても渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されており公害の大きさが伝わってきます。


「竜」は「英雄」はどちらも出てきてもらっては困るのですが現代の民主主義社会において「竜」や「英雄」を出現させるのは有権者である一般国民です。
裏金問題で清和会は逃げ切りですがこのような「邪竜」を出したり「邪竜」退治で次の「邪竜」になろうとする「英雄」を出さないためにはどうしたらいいか。
一般国民自身がきちんと考えて選挙権を行使する、政治とカネの問題でも泣き寝入りせずNOと言い続けることです。
「英雄」の「竜」退治のように華やかさはないし即効性もない地味で遅々とした取り組みになりますが平和的によりよい社会の実現を目指すにあたっては必要不可欠なことです。


2024年は世界中で重要な選挙がありますが(TNL記事「2024年はスーパー選挙イヤー 世界で注目される10か国・地域の選挙は?」ヤフーニュース)既に台湾では独立維持の与党民進党が勝利しました。
今後も2月にインドネシア大統領選挙、3月にロシア大統領選挙、4月5月にインド総選挙、6月にメキシコ大統領選挙及び欧州議会選挙、7月に東京都知事選、9月に自民党総裁選、そして11月に米国大統領選挙が行われます。
上述の通り辰年は政変の年と言われますが何が起こるかわかりません。
去年の岸田内閣はさんざん解散風を吹かせたものの竜頭蛇尾で支持率がみるみる下がって解散どころでなくなりましたが今年はどうなるか。
支持率が上がるかどうかは全く不明ですがあまりにも酷過ぎてさすがに岸田おろしをやらざるを得なくなったり再び首相襲撃事件が起きたりして総理大臣交代で就任直後の支持率の状態で総選挙を行うといった可能性も完全にゼロとは言い切れません。
そうなった場合は政治とカネの問題も争点になるでしょうが選挙の投票率が70%台割れし回復しない状態がここ30年続いており失われた30年は有権者の低投票率も原因ではないかと思うのです。
それを考えるとやはり失われた30年からの脱却を目指すのであれば一人一人が選挙に参加し清き一票で意思表示をすることが重要と言えそうです。