1339ページ目 その翻訳は正しいか?

岩波文庫君主論マキアヴェッリ著、河島英昭訳)第16章「気前の良さと吝嗇について」を読んでちょっと思うところがありました。

内容自体は気前よくばら撒いて人気取りをすると自前のカネだけでは足りなくなり大勢の人々に重税を課さざるを得なくなり一般国民から憎まれるか、文無しで馬鹿にされるかどちらかで君主の地位が危うくなる、大勢に対する重税を原資に少数の者に与えれば小さな反乱さえも命取りになるので日頃からケチと言われようと何と言われようと倹約に徹するのがよいといったお話です。

実際岸田内閣でも少子化対策財源に医療保険の仕組みを利用して徴収する子供支援金制度の話が出ていますがこれもまさにすべての国民にかかる医療保険で結婚と出産ができた少数の勝ち組世帯にバラまくわけで案の定支持率を大きく下げる原因の一つになっており君主論的には滅亡フラグです。

内容自体は全くその通りでさすがは500年以上も生き残っただけの価値があります。

一般国民に重税を課して一部のお友達だけにバラまいて為政者とその仲間たちだけで富を独占した政権がどれだけ残念な末路をたどってきたかは古今東西に山ほどあります。

フランス革命前のフランス王国とかロシア革命前のロシア帝国とかまさにそんな感じです。

ただここで、ん?と思ったのが吝嗇、ケチという単語の使い方です。

ケチとは辞書的には本来必要なものにもカネを惜しむ様をいいます。

君主論16章では日頃からケチで無駄遣いをしなければ日頃の歳入だけで十分だし外敵が来ても防衛費を捻出できると言っています。

まあ人気取りの所得税減税をして防衛費増税というのはどうなのか?岸田首相は君主論を読んでないだろうなというのが伝わってきますがそれはそれとして本来のケチという意味であれば外敵が来てもカネを出し惜しみして防衛にカネをかけないということになります。

訳者がケチの意味について調べた上で敢えてケチという単語を使って訳したのかどうかは不明ですけどここではケチというよりワイズスペンディング、無駄なバラマキはしないでいざというときに出し惜しみせずカネを使う、日本語で言うところの賢い支出と訳すのが本来の意味ではないかと思うのです。

とはいえケチという言葉を誤解して使っている人々も少なくなくワイズスペンディング的な意味で認識しているケースもありがちです。

タイトルに関しても「気前の良さとワイズスペンディングあるいは賢い支出」とすると対比になりません。

気前の良さの方を無駄な支出的な感じで意訳すればいいのでは?と思わなくもないですがあんまり意訳し過ぎるのも原典から離れていくという点であまりいいことではないです。

なので敢えてケチと訳したのではないかという気もします。

とはいえ君主論でケチが大事だからケチになろうといって辞書的な意味で必要な時も出し惜しみするのは問題です。

日頃から無駄遣いはやめて必要な時に必要な分の支出を心掛けたいものですね。

 

 

…あと疑問に思った、少なくとも現代でそれやっちゃダメだろと思ったのが他人の所有物を奪って気前よく与える行為です。

これをやったら奪われた者は絶対に忘れません。

必ず奪い返しに来ます。

先祖代々の土地を奪ったお前たちから必ず土地を奪還するぞと思っている人はイスラエルとアラブの双方にたくさんいるでしょうね(どの時点を起点にするかについても争いになりますが)。

そういえば昨日も元々国と大阪府のカネだった万博基金を経済界からの万博に対する追加拠出に充てるといった話がありましたがまさにこれもです。

経済界からすれば地元自治体とか国から奪って出すカネを減らして仲間内で気前の良さを示したいというのもあるんでしょうが他人のカネを奪って仲間内で人気取りをやっているのを見て奪われた側はどう思うか。

相当な憎しみを買う、一般国民も大阪府民もカネに四苦八苦している世帯が多いですがこれも一般国民や一般府民から奪ったカネを万博のお友達に気前よく配っているのと同じことで大勢に重税を課して少数に与えているのと同じことです。

今回のような話を考えると経済界が設立した団体に解散した基金のカネの運用を任せるのは危ないと思いましたが基金の統廃合に関しても残っているカネをどうするのか、国や地方が拠出した分のカネについては国や地方で回収してそれぞれ必要な支出に充当するのがよいかと思いますね。