1351ページ目 交際費1人5000円以上も損金経理OK

現行では1人5000円が経費処理の限度になっている交際費ですが税調で上限を引き上げる方向で調整されています(日経記事「交際費、5000円から上乗せ 数千円軸に 法人税非課税上限巡り)。

飲食業も材料費や人件費上昇で価格の引き上げが相次いでおり一人当たりぎりぎり5000円の枠内に収めるのが難しくなってきた、接待や贈答などをしやすくし企業交流を活発にしたい、バブル期は6兆円ほど交際費があったのに近年では3兆円と半減しておりコロナ禍による接待需要の落ち込みもあった飲食業界への支援といった背景があるとのこと。

 

物価が上昇しているのに損金算入限度額をそのまま維持するのは実質的な減税額縮小になるので物価上昇を考慮した限度額の引き上げには一定の合理性があります。

ですがそれを言ったら一般国民だって物価上昇で生活が苦しく物価上昇に対応した税制改正を行うなら全ての人に認められる基礎控除も引き上げなければ筋が通りません。

所得金額2400万円以下の人は現行制度上48万円が基礎控除として認められていますが物価上昇分の上乗せが必要になります。

 

取引先との飲食や贈答にしても飲食についてはワークライフバランスの観点もあり接待を奨励するというのもどうなのか、夜まで飲んでないでさっさと帰って家事とかやるのが大事なんじゃないかと。

贈答にしても本来会社そのもののサービスが大事であって贈答で条件の悪い取引を維持されるのも困るんですよね。

そもそも会社が受け取るべき性質のものですけど食品類とか受け取っても個人で消費するしかないわけで受け取る側の役得になるというのもどうなのか。

カネ持ちの中小企業オーナー社長及びその一族が住宅ローンや子供の教育費でカネがなくおこづかいも配偶者に減らされた大企業のサラリーマン部課長を接待して経費で落とす構図もありがちな話ですがこいつらに飲み食いさせるために交際費の経費処理を認めて法人税減税するのも納得いかないものがあります。

それに1人5000円だってそんなに少なくはない、別にサイゼリヤだって全然OK、むしろコスパすごくいいし個室じゃなければ困るという人も1人5000円以下の個室居酒屋も検索するとけっこう出てきます。

夜の店とかに行けば万円単位になりますけど本当に夜の勉強会は仕事に必要なのかというと疑問と言わざるを得ません。

数千円上限を増やすとか言ってますがつまり倍にするってことですか?

ふざけるなよ上級国民、会社のカネで飲み食いして減税とかカネ持ってるのに乞食みたいなことすんな!

まあ企業側からの要望よりむしろ政治家さんたちがよくいく料亭だとか万円単位の値段のお店の人たちから直接要望があったんでしょうね。

露骨な利益誘導ですけど冗談じゃありません。

 

バブル期に比べて交際費が減った件に関してはむしろよいことです。

外食産業自体もたしかに90年代を頂点に徐々に減少しアベノミクスの2010年代に緩やかに回復しコロナ禍で急減していますがコロナ禍後は回復傾向にあります。

別に交際費が半減したからと言って飲食業界も市場規模が半減したというわけではありません。

交際費に関しては会社にとっては基本的に無駄な支出でそれだけ冗長な出費を削ったということですが交際費、会社のカネで飲み食いしてもらえないと選ばれないお店というのもどうなのか。

本来なら交際費を経費として落とすんじゃなくて交際費はあくまでも個人持ちとして交際費で使うことが見込まれる金額を踏まえた賃上げを行うのが妥当です。

交際費負担額相当の賃上げに関してはもちろん社会通念上相当と認められる範囲にするのは言うまでもありません。

個人は増税で法人は減税は断固反対、しかも偉い人は役得で飲み食いしようなんざずいぶんとケチなことですけど必要なら自腹で出す、必要ないなら出さない、接待や贈答でなくあくまでも取引そのものの価値をしっかり判断しないと企業の生産性とか大企業も中小企業も上がらないんじゃないかと思います。

 

…といっても政財界の私腹を肥やすことばかり考えている人たちは一般国民の都合なんて全くのお構いなしです。

内閣府の井林君は言いました。

「相手の見方や考え方を理解して交渉しないと、ぶつかるばかりだぞ」(日経記事「運命の打ち合わせ」)と。

それって上級国民VS一般国民の構図なんですが一般国民から見た社会の現状だとか政治経済に対する考え方を上級国民はどれだけ理解しているんですかね。

支持率が下がるのは正にそういうところ、決して岸田首相だけの責任でなく井林君とかも含めた内閣全体、与党全体に責任があるの理解してるかな?

リーダーに問題があるからといって部下は全く悪くないってことはないんだぞ。

社長が部下の不始末について監督責任を自覚した上で全部私が悪いんですというのはその通りだけど社長が責任を認めたので不出来な部下は無罪放免というわけにもいかないのだよ。

社長の責任の取り方はともかくとして部下は部下で各自の不徳を反省しなければらないのは言うまでもないことです。

というか上級国民の見方や考え方に関しては失われた30年の実績や言動からよく理解できました。

基本的に負担は税については水平的公平と社会保険料については応益負担で分配し給付は新自由主義の自己責任論で切り捨てという姿勢で失われた30年が過ぎましたが弱肉強食で勝てば官軍負ければ賊軍、とにかく自分だけ勝ち逃げしたいという考え方がこれでもかというほど伝わりました。

貧困の現場は見たかどうかは知りませんが万博の木造リングみたいな利権分配の現場にはいて勝手に自分たちだけで根回しと言う名の密室会議を行い一般国民そっちのけで書類をでっちあげて決定事項だから覆さないという姿勢で強権を振るうという民主主義国家とは呼べない政治が行われている現実があります。

密室政治で一般国民が知りえない場所で勝手に書類を作られた、書類作成前に文句を言えと言われたって密室政治では一般国民に情報が伝わることもなく情報が伝わったとしても引き返せない段階ですからどうにもなりません。

木造リングとか今年になって出てきましたけど密室で勝手に決めて情報も去年以前に一般国民に伝わっていた、広く議論がなされたとは言い難い状況ですがそれを決定事項だとして勝手に進めるのは民主主義のあり方としていかがなものか。

井林君の地元だって一般国民は貧乏になって鈴与とか世襲上級国民との格差が広がっただけじゃねえか!おいこら井林ふざけんなよ。

鈴与の献金の話は他の人もしっかり説明しないとね。

上級国民の見方や考え方を理解すればするほど、かつ、失われた30年で出てきた残念な数字と上級国民の行動及び考え方と突き合せれば突き合せるほど上級国民と一般国民とは共存共栄の関係でなく上級国民はゼロサムゲームで一般国民から容赦なく奪いに来るテイカーだと言わざるを得ないのです。

政府が一般国民に根回ししないでこしらえた書類の枚数の積み重ねが政府に対する不信の重さなんですけど紙一枚ぐらいたいしたことないと思っていたら大間違いだぞ。

英語のことわざにIt is the last straw that breaks the camel's backというのがありますがこれはラクダの背骨を折るのは最後の藁だという訳になります(ウェブリオ辞書参照)。

ある物事が、耐えることのできる限度を超えてしまうきっかけとなった物事を意味する表現となりますが広く薄くの負担を国民への根回しなしで積み重ね続けた挙句がジニ係数0.4すれすれで通り魔だとか売春だとかドラッグ中毒だとか闇バイトだとか政治家襲撃だとか色々末期的な社会の有様です。

この上にさらに藁を一束、税や社会保険料負担を増やそうものなら忍耐強い日本人だって家計の屋台骨が折れるか折れるのを拒否してキレます。

限界ギリギリの人に家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」を持ち出して説教したって聞いては貰えないでしょうね。

生活の困窮が当たり前だと思えば不満は生じないとか国民を貧乏にした為政者が言う言葉じゃないですね。

何がが欲しいと思ったら苦しかった時のことを思い出せとか明日は今日より悪くなるわけで明日以降の苦労を考えると余計に何とかしないと不味いと思うわけですよ。

我慢できれば安全に長生きできると言っていたら調子に乗って負担をどんどん増やされる、限界が来たら怒らないと自分や家族を守ることはできません。

勝つことばかり考えている上級国民の皆さんは負け組がどういう状況になっているか理解できていないようですがさすがにみんな怒りますよ。

自己責任論は本来なら人に押し付けるものではないのですが制度の利益を享受する勝ち組上級国民が制度的に搾取され続けた一般国民に自己責任論を押し付けるのは問題です。

どう頑張っても勝てない環境というのは残念ながら存在します。

カネも名誉も独占はよくない、むしろいろんな人々の恨みを買って最終的に全部取り返された挙句に死後の不名誉まで負った独裁者は歴史上大勢います。

特に創業の苦労を知らない世襲経営者とか世襲議員は負けを知らない、勝つことだけしか知らないのではいざ負ける時になって最悪の転び方をする可能性すらあります。

負けた時のことはちゃんと考えておいた方がいいと思うのですがね。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」の話は一般国民よりむしろ上級国民が自覚しないと不味い内容であり一般国民に重荷を押し付けるのは誤りというものです。

もう十二分に一般国民は重荷を背負わされています。

エリート官僚の井林君からすればどうということもない書類でも限界ギリギリまで負担を背負っている一般国民にとっては最後のとどめになる藁束なんですよ。

そんなことも理解できないのであればとりあえず井林君は落選して一般国民の暮らし向きをよく見る、一般国民の見方や考え方を理解してから政治家をやるのか引退するのか決めたらいいんじゃないかと思いますね。