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今日は11月9日、119番の日です。

火災だとか大怪我をした人がいたら119番ですね。

最近色々と物騒な話を聞きます。

例えば歌舞伎町で女子中学生の自殺をスマホで撮影したり刺されたホストの救助でスマホで撮影しながら傍観したり(集英社記事「〈歌舞伎町ホスト刺傷〉「AEDもってきて‼」刺された被害者のそばで懇願するも約40人の群衆は”フル無視”でスマホ撮影…救助した実業家が語る現場の“異様”」ヤフーニュース)といった話がありました。
たった大勢いて一人二人しか救助に動かないというのも末期的な話ですね。

こういう目の前で血を流しながら苦しんでいるのを助けないばかりか写真までとって見世物扱いするというのはいったいどういうつもりなんでしょうね。

あまり嫌なことは考えたくないですが荒んでいるというか何だかんだでみんなストレスがたまっていて憂さ晴らし的な何かを見たいとか潜在意識レベルで思っているということでもあるんでしょうか?

集合無意識レベルで血と汗と涙を求めるものすごい何かが確実に大きくなっていそうですがなんか怖くなってきました。

けっこうみんなドライで連帯も団結も何もないですが一方で積極的には連帯も団結もしていないけど判で押したようにみんながスマホ片手に傍観者に徹して救助に動かないというのはある意味消極的にだけど文字通り見殺しにしているとも言えます。

助け合いの連帯じゃなくて見殺しの連帯ですかね。

そんなに深く考えていないし理念とか意識してやってるわけじゃないと思いますけど潜在意識とかそれよりもっと深い場所の集合無意識レベルで何か理念とかそういうのを越えた怨念的な何かが蠢いているんじゃないか?

むしろ自覚してない分、余計に怖いです。

襲われたら目の前に大勢人がいるのに誰からも助けてもらえずそのまま死ぬ可能性もリスクとして認識せざるを得ない感じです。
まあ今回の場合は日頃の行いの報復として刺したそうです。

犯人もその場にいてもし刺された人を助けようとしたら助けた人が犯人から刺される可能性もないとは言い切れず救命措置を行ったり刺された人の傍に近寄りたくなかったと考えた可能性もあり得ます。

ただそれにしたって通報すらせずスマホで遠巻きに撮影というのもどうなんでしょうね。

というか通り魔で無差別だったらどうするんでしょうか。

無差別の通り魔でないにせよ犯人が興奮して刃物を振り回し刺さるリスクもないとは言い切れませんけどそれを避けたいのであればスマホで撮影している場合でなくすぐその場から立ち去るべきとも言えます。

救助するわけでもなく逃げるわけでもなく野次馬としてその場にとどまって撮影というのが最も不味い選択ですがスマホ持ってるんだったらせめて通報ぐらいしましょうよ…。

世の中何があるか分からず突然刃物を振り回す人もいていざ修羅場に遭遇した場合、手際よく救助ができる自信はないですが安全は確保しつつもせめて最低限通報(けが人が出ている場合は先に119番通報ですかね。刺されたという旨の話もしたら警察も来るはずです)ぐらいはしたいと思います。