1276ページ目 天才でも凡人でもやっぱり環境は大事

東洋経済記事「自分は凡人!」と思える人こそ“天才に勝てる”訳 つんく♂氏が断言!「僕も凡人。だからこそ“大逆転”できる」ヤフーニュースを読んでちょっと思うところがありました。

色々書いてますけど曲ができないのを環境のせいにするな的な話があるんですけどこれ、自助努力はもちろん大事がやっぱり環境は大事、経済的なこととか作業環境とか貧乏だったり騒音が酷かったりしても本人次第で何とかなるというのは人ぞれぞれだと思うんですよね。
夏目漱石みたいに電話のベルとか騒音に耐えられなかったり心を病むほど繊細な天才もいたりもします。
凡人だってブラック企業だったりしたら能率上がらないこともよくある話でフリーライターとかにも天才だったら給料が安くてもいい記事が書けるはず、書けないのを人や環境のせいにするな、給料だとか福利厚生が足りないのは甘えで全部お前の自己責任だとか言って安い報酬と無理な納期でこき使う事例は山ほどありました。

環境とか人のせいにするな全部自己責任だというのも90年代00年代とかによく流行った論調です。
ひとそれぞれだというのにわざわざこういう記事を書かせた東洋経済もどうなのかなと思います。
そういうブラック企業経営者が喜びそう、フリーランスの人たちや売れる前のアーティストがますます追い込まれるような論調の記事は公共の利益にならないです。


あとつんくは本人含めて誰がなんと言おうと平成を代表するぶっちぎりの天才です。
というかこの人クラスの人が謙遜するとかえって嫌味なんですよね。
つんくですら凡人だったら他の人の立場がなくなります。

他にも才能がある人がいてそいつらを見ると悔しくなるなんて本人は言ってるけどたぶんその人たちはつんくを見てもっと悔しがってますねきっと。
自分の能力を過信してたも何も十分適正な自己評価というものです。
学業にバイトにライブにと全力でやってそれでもまだ曲作りができること自体が驚異的、「俺もこれくらいの曲、真剣にやったら、いつでも書けるわ!」というのはつんくほどの天才だったら実際その通りです。

一日24時間しかないのは天才も凡人も同じで能力値の割り振りも平均すれば同じになることもあり得る話ではありますね。作詞作曲に全振りしてたらよかったのです。
まあ学業やライブはやり方次第で作詞作曲やプロデュースにも活きる、バイトも関連スキルを伸ばせる内容だったらよいですけど単にカネを稼ぐためだけのバイトだったらつんくの無駄遣いです。経済的にちゃんと支援していい曲を作って貰う方が社会的には利益になります。


名誉はまあいらないですけどほどほどのカネ、借金しなくてもちゃんと環境を整えられるだけのカネは絶対に必要なのです。

天才だって生身の人間で生きていないと当然何かを生み出すことなんてできませんので生活環境を整えるのは当たり前の話です。お役所の水際作戦で漫画家は生活保護を受けられないなんて無茶苦茶な話もありましたが漫画家同様作曲家は生活保護を受けられません、作詞作曲家は廃業して日雇い軽作業をやってくださいとかそれはどうなのかと思います。


プロデビューした後は売れなかったといってますけど次から次へと新人が出てくる業界で一発屋で終わらず生き残れる自体も評価しなければなりません。
凡人が天才を使うのは非常に困難なのはよくある話ですが実際「あの程度のスタッフに俺の才能をあやつる能力はないね」というのもその通りだったんでしょう。

自分の能力を上回る人はいずれ自分の立場を脅かすので出世させずにこき使うか左遷するという上司はいくらでもいます。
つんくが才能ないだと?これを言ったやつ誰だ?そいつこそ才能を見抜けない、マネジメントの才能がない人間、音楽業界で働く適正はないとしか思えないですね。


「俺には、神様から与えられた才能があるはず」、実際その通りでその辺は本人が一番よく分かっていたということです。音楽業界のプロですらちゃんとつんくの才能を評価できなかったあたり他人の評価なんて当てにならないですね。
ちゃんとした楽器とスタジオは当然必要、弘法は筆を選ばずなんていうけど使い過ぎて筆先が割れた筆あるいは新品のおろしたての筆で書かせるよりよく手入れされほどほどに使ってよく手に馴染んだ愛用の筆で一筆書いてもらった方がいい作品ができるものです。
理系研究者の実験だってどんなに本人が天才でも物理的に器具がちゃんとそろわなければ仕事にならないですね。
宣伝も大事で商品さえよければ宣伝しなくても勝手に売れますということなら広告宣伝業界、電通博報堂があんなに大きくなることもないでしょう。

てかモーニング娘。が売れたのはモーニング娘。の自助努力だけじゃなくて広告宣伝も含めたマーケティングが上手かったからというのもかなり大きい(モーニング娘。の後にAKBが流行ったのも見てむしろマーケティングこそ大事だったのかと思わなくもない)ですけどそれも否定するのでしょうか?マーケティングってすごく難しいし広告宣伝もシビアにセンスを問われるんですが。
いい商品でも無名のまま売れず忘れられていったものがどれだけあることか。


「他人や環境のせいにするのは、できない人の言い訳だった」というのはつまり自助努力をすれば勝てますと言っているのと同じだけどそういう傲慢な発想はとてもよくないですね。

南方戦線のジャングルで勝てなかったのは参謀本部の作戦だとか補給物資の不足が原因じゃなく現場の旧日本兵の自助努力が足りなかったというわけですか。

もちろん経済界の偉い人みたいに法人税を下げたり貸出金利も下げてやったのに結果を出せないくせにまだ法人税減税が不十分だから日本企業は勝てないとか言ってる点に関しては典型的なできない人の言い訳です。
でも経済界の偉い人たちには既に十二分に環境を整えてやったけど我々一般国民に関しては環境を整えてもらうどころか生活も婚活も育児も色々環境が悪くなる一方、給料が上がらないのに物価と税負担だけ上がってるわけで一般国民が貧しいのは政治家や財界人のせいじゃない、一般国民の自助努力が足りてないとか失われた30年でずっとそういうことばっかり言ってた結果が今なんだけどそれでもまだ「他人や環境のせいにするのは、できない人の言い訳だった」って言うのでしょうか?

「曲は降ってくる。整った環境の中で曲をつくっていたら、神様がチャンスを与えてくれる」、これも実際その通りでエジソンみたいな1%の霊感、ある日突然のインスピレーションはとても大事です。神様がなんたらかんたらとか無神論者の人からすればふざけているようにしか聞こえない、神頼みとか自助努力しろよみたいな話を言う人もいるでしょうが全部何でも自分でやれるし全知全能の存在じゃないですからね人間は。

これも人によりけりですけど静かな所で落ち着いて瞑想してからでないと発想が浮かんでこないという人もいるわけで決してふざけているなんてことはないです。

夏目漱石に当時の銀座とか浅草のど真ん中で小説を書けと言ったところで書けると思いますか?何でもかんでも自助努力で何とかなるという考え方自体がふざけてるんですよ。
まあつんくが天才なのは間違いないし売れるまで苦労したのも事実ですけど「他人や環境のせいにするのは、できない人の言い訳だった」という発言は成功した立場で言うのは感心しないですね。
たしかに本当に努力していない人がこのセリフを言うのもありがちな話だけどブラック企業とかブラックなフリーランス契約で使い潰される人材はたくさんいる、ちゃんとした環境を整えてスキルアップで人材投資して働きやすい職場づくりをしなかったから大企業から中小企業まで失われた30年で日本経済の基礎体力自体が衰えたのですが。


00年代のモーニング娘。とか10年代のAKBと同じぐらい社会現象になるほどすごかったけど使う側の人間としてはコストカットに目が行くんでしょうね。
アイドルとか次々に志望者が集まってきてそれこそ代わりがいくらでもいるわけでそんなに投資しなくても売れる人が残ってくれれば十分採算がとれます。
才能はあるけど育成にカネをかけないと売れない新人、才能はあってカネをかけなくても勝手に育ってくれる新人だったら当然後者を選ぶのが経済的に合理的なのは間違いないです。
芸能関係に関しては今でも人気で経済規模も大きいからそういうやり方でもやっていけるんだろうけど他の場所は人手不足、特に若い世代は足りてないです。

出版関係に関しても志望者はけっこういるけど売上自体は斜陽でこれも再活性化の投資は必要になってきます。
人手不足になる業界でカネをかけなくても勝手に育って売れる新人しか採用しませんというのは無理な話、ちゃんと人を育てる、勝手に伸びる人に関しても投資をすればもっと伸びる可能性だってあるわけで失われた30年からの脱却には人への投資が必須なのは当然の話です。
まあつんくが天才か凡人か、天才とは環境が悪くてもブラックな人間関係で苦労しても結果を出せる人かどうかはともかくとして天才でも凡人でも生きている人間であることは同じで生身の人間である以上は生活環境を整える必要があることも言うまでもないことです。

全ての業界が芸能関係みたいに競争倍率が激しいわけじゃないし本人の自助努力も当然必要ですけど自助努力さえすれば徒手空拳で何とかなるなんて話はなくやはり人への投資というのは天才だろうと凡人だろうと大事だなと思いますね。