1265ページ目 もしも全ての名詞が世界から消えたなら

どうなるんでしょうね?固有名詞から一般名詞まで全ての名詞が世界から消えた場合は。

今日の日経夕刊のイッセー尾形氏のエッセー「物忘れ」で思うところがありましてね。

気になった部分は最後の方、「「百年の孤独」という小説の中ですべての名前を忘れる病気が出てきたが、固有名詞から一般名詞まで広がるんだろうか。「やかん」「なべ」「まないた」も忘れていく?抽象名詞の「愛情」「友情」「責任」「義務」とかも?「僕は君たちに対して、ほら、アレがあるから、ほらえっとお、ほらアレ」。これは確実に笑えるからその日を待とう。」という部分です。

そもそも「アレ」だってこの文章の中では名詞として使っているではないか、全ての名詞の中には代名詞は含まれないのか?代名詞も名詞じゃないのか?そんなことを言うとイッセー尾形氏は白馬は馬に非ずみたいな理屈を言い出しそうですが代名詞を名詞に含めるかどうかは判断が分かれるところでここでは代名詞に関しては独立した品詞として考えることにしてみます。

 

例えば「固有名詞から一般名詞まで全ての名詞が世界から消えた場合は。」で名詞を代名詞に置き換えた場合「アレからアレまで全てのアレがアレから消えたアレは。」となります。

もう全然わかんないし文章だけ見てもちっとも笑えないですね。

まあ日頃からムカつく偉そうな人の発言から全ての名詞を代名詞に置き換えたところを想像して確実に笑えるとイッセー尾形氏は思ったのかもしれないですね。

たしかに偉そうなパワハラ上司とかワンマン社長の長~い会議で出てきた全ての名詞を代名詞に置き換えるのを想像すると眠気が吹き飛んで会議中に突然笑いだしてパワハラ上司やワンマン社長も含めて周囲から顰蹙を買いそうな気もします。

 

しかしその反面で年を取ってすぐに言葉が出てこない人もいるわけでその人だって一生懸命伝えようとしているのにそれを笑うというのもどうなのかとも思います。

最初の職場で家族じゃないんだからこれとかあれとかじゃなくてちゃんと名詞を明確にして伝えろと上司に言われた覚えがあるのですが実際長年の付き合いがある者同士じゃない、全く見知らぬ相手、価値観も文化も違う相手にこそあど言葉満載で何かを伝えようとしたって伝わらない、行間を読むスキルが高い人には通じるかもしれませんが致命的な誤解を招くおそれもあるわけで名詞がなかったらもうビジネスは成立しませんね。

国語の入試問題でも文中の代名詞に下線が引いてあって「あれ」とは何を指すのか説明せよみたいな問題が出題されるものの間違える人はけっこう間違える、混乱が起きそうなのはビジネスだけの話に限った話ではなさそうです。

 

さらに言うなら最後の方に例示した「愛情」「友情」「責任」「義務」ですけど私腹を肥やして愛国心はない、無責任で義務を果たさない政財界の偉い人が山ほどいるわけでこの人たちの辞書にはそういう名詞はないわけですけどちっとも笑えない世の中になっているのが今の日本です。

説明責任?ノーブレスオブリージュ?なにそれ美味しいの?とでも思っているかもしれませんね。

全ての名詞が世界から消えた場合はとんでもない無秩序な世界になりそうです。

 

というか世界は世界として存続できるんですかね?世界という概念を脳内で考えるにしても名詞は必須、言語情報で世界を認識している人にとっては言葉によって世界は成り立っているわけですが名詞が世界から消えた場合は世界という名詞も消え世界そのものが消失するんじゃないか?

イッセー尾形氏はムカつく誰かが耄碌して言語とか色々物忘れするのを待っているのか、それとも世界の終わりを望んでいるのか不明ですが確実に笑えるかどうかは来世にそういう世界、言語がない世界に転生して実際に試してみるのがよいでしょうね。

というかアウストラロピテクスの時代にコメディはあったのか?お笑い芸人は存在したのか?骨は残っていてもコミュニケーションの化石はいったいどこに残っているのか?色々謎が多いですが言葉がない世界でイッセー尾形氏がやるようなコメディと小説は成立するかどうかは疑問です。

 

まあアウストラロピテクスの時代じゃなくて言語がある時代だって疑似的に名詞がないも同然の状況を作り出すこともできなくもありません。

本人が全く知らない言語しか使われていない場所に移住することです。

日本語も英語も知らない、使う人が限られた言語しか用いない少数民族のコミュニティで暮らしてみたら本人の知っている名詞(名詞どころか品詞全部使えそうにないですが)は一切伝わらない、事実上言語を使えない状況になりますけど果たしてそういう状況は確実に笑えると言えるのか?

言葉が通じない地域に芸能人を放り込んでそれを観察するテレビ番組は昔からありましたけどその種のコンテンツだって笑えそうな部分、笑えはしないけど考えさせられる部分だけ切り取って作っているはず、全く笑えない、つまらない部分や放送禁止レベルでヤバい部分はカットしているかと思います。

少なくとも確実に笑えるとは言い難い、一日24時間で放送時間はせいぜい毎週1時間としてもむしろ放送されていない部分の方が多いわけで笑えない部分の方が多いかもしれないですね。

その辺は実際にイッセー尾形氏を本人が絶対に知らない言語しか通じない外国に放り込んで実験してみたら確認できそうです。

 

…と思ったのですが問題はイッセー尾形氏が一人芝居の巨匠だってことなんですよね。

コミュニケーションの方法は別に言語だけではないのです。

音声や文字を使った言語によるコミュニケーションでなくても伝える方法はある、身振り手振り、言葉だけでなく体全身を使う、ボディランゲージもあるわけでそこは俳優のスキル、一人芝居のスキルでどうにかしてしまいそうなので名詞がなくなった場合どうなるか、確実に笑えるかどうかの検証をイッセー尾形氏で試すのはあまり参考にはならないかもしれません。

もし名詞がなくなった場合は言語以外のコミュニケーションができる人が超有利、もうイッセー尾形氏の独擅場、知る人ぞ知る的なポジションでなく老若男女知らない者はいないというレベルの超大人気になるかもしれない、ああ、イッセー尾形氏はだから確実に笑えると言ったのか。

言語を用いて商売している人がみんな失業していく中でイッセー尾形氏だけ俺TUEEEEな状況になってバブル期みたいに笑いが止まらない状況にはなるでしょうね。

名詞がない中でも代名詞の使用がOKなら現地でとにかく代名詞だけは覚えて後は指をさすなりアイコンタクトするなりして試していく、そのあたりは多くの人にとって記憶にはないけど各自赤ちゃんの頃にやったことなので何とかなるかもと思わなくもありません。ただそこから言語以外のコミュニケーション力をより高めるには相当な修行とセンスが必要になりやはり多くの人にとっては生活が困難になるでしょうね。

誰も彼もが50年以上親密な人以外の不特定多数にも伝わる言語以外のコミュニケーション力を鍛えてきたわけではないのです。

 

まあイッセー尾形氏本人が名詞がない世界は笑える世界かどうかを確認するには一人芝居関係のスキルを全て封印した上で名詞のない世界に転生して実際に名詞がない世界は笑えるかどうか試してもらうとしてとりあえず大多数にとっての現世のことを考えてみる、英語だけ中国語だけ覚えてグローバル人材になれるか?というとそれも難しいです。

古今東西の全ての言語を習得できるわけでもないし生成AI搭載の翻訳機付のスマホがあったとしてもコスパの関係から少数民族の言語まで全て網羅できるかは不明ですが音声や文字以外のコミュニケーション力があれば多少は状況も変わってきます。

この世から名詞がなくなってしまうのは確実に笑えるとは断言できない、むしろ心底笑えない、シャレにならない状況が到来するので私は絶対にその日が来てほしくないと思うのですが仮に名詞が使えない、コミュニケーションを取りたい相手が日本語も英語も使えない、使えたとしてもこそあど言葉しか使えない状況で何かを伝えるにはどうしたらいいかを想定して言語以外のコミュニケーション方法を考えるのも国際化を進めていく上で有益なのかなという気もします。

 

 

 

さてここまで3000字は書きましたけどこの文章における全ての名詞を代名詞に置き換えて言語以外のコミュニケーション方法で内容を伝えてって言われたらどうするか?

…無理っすね。

やっぱり名詞がない世界なんて確実に笑えない、冗談じゃありませんね。