1430ページ目 ありがとうに込められる「正義」と社会の縮図

昨日の日経夕刊プロムナード記事「浪費される「ありがとう」」について思うところがあったので備忘録として残しておきます。

 

要約すると「著者の酒井順子氏は普段購入する紙パック入り豆乳を飲み終わって紙パックをたたむがたたまないと読めない「たたんでくれてありがとう」というメッセージを読んで監視されているプレッシャーを感じる。

別の日にトイレットペーパーを使い終わって芯を見たら「毎度ありがとうございます」というメッセージがあったが同じく監視されている気分になった。

日本では全てのモノに魂が宿るので紙パックやトイレットペーパーの芯にも感謝の気持ちはあるかもしれない。

だが「ありがとう」というメッセージからプレッシャーを感じるのは「正しいことをせよ」という指導、教導の念が込められているからだと思った。

紙製品の類の「ありがとう」は言外に紙だからリサイクルしろと言っている意味がある。

公共トイレでも「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」と同じで直接リサイクルしろと言っても従わない人には先に「ありがとう」と言えば素直に従うのではないか。

ただこの種の「ありがとう」からは使用者が非協力的なんじゃないかと疑われている気がして不愉快だ。

しかしもっと不愉快なのは「ありがとう」が安売りされている点である。

自動音声でもあちこちで枕詞のように「ありがとう」という言葉を耳にするが無限に再生可能で人工的すぎてありがたみがない。

ありがとうは漢字で書くと有難うであって本来滅多にないことなのだが再生すればするほど本来の有難さがなくなるので「ありがとう」は乱発しない方がいい。」

といった内容になります。

 

まあたしかにそうですねという感想なのですが気になったのは中盤の部分、「ありがとう」に「正しいことをせよ」という指導、教導の念が込められている点ですね。

もう20年ぐらい前の話なんですが中央線に乗っている最中に優先席に座っている若者の前で突然「ありがとう」と言い出す杖をついた団塊の世代とおぼしき身なりのよい男性がいましてね。

なお優先席は全て埋まっており付近にいた人は一瞬「は?」という感じでしたね。

もちろんその声をかけられた私服で髪の毛は脱色し携帯をいじっているフリーターらしき若者も全くなんのことか理解できていなかったようです。

杖をついた身なりの良い男性は続けて言いました。

「席を譲ってくれるんだよね。ありがとう」と。

ここでようやく周囲の人も気が付きました。

この杖をついた男性は健常者である若者が優先席に座るのはけしからん!そこをどいて私に席を譲れ!という意味の「ありがとう」だったのです。

若者の隣に座っていた中年女性は慌てて座席から立ち上がり杖をついた男性に席を譲ろうとしますがその杖をついた男性はあくまでも目の前にいる若者を席からどかしたかったようで中年女性が空けた席には座りません。

結局そのくたびれた感じの若者は席を立ちました。

 

すぐ傍でつり革につかまって立っていた私はいたたまれない気持ちになりました。

そりゃたしかに杖をついている人が立っているのは安全上よくないし大久保あたりは急カーブするので座ってほしいなと思います。

優先席はお年寄りや妊婦さん、けがをしている人などいわゆる弱者が対象の席ですがぱっと見た感じでその人は強者、健常者だと判断するのもどうなのか。

一見すると若い健常者っぽく見えても実は病気で体調がよくなかったりすることもあるし妊娠初期であまりお腹は目立たないけどつわりが辛いケースだとか献血した後で血圧が下がってふらふらしている人だっているのです。

優先席に座っている人の総てに何かの事情があるとは限りませんがいきなり席を明け渡せというのもどうなのか。

この人は若い人を指導する立場にあってついつい職業、立場柄、電車の中でもそういう普段の姿勢が出てきてしまったのかもしれません。

杖をついているオレは無条件に優先席に座る権利があり若者は当然に優先席に座るべきでないといった「正義」の念が「ありがとう」から伝わってきます。

優先席全部が一見してわかりにくい人も含めたいわゆる弱者で埋まっている場合は先着順にすべきなのかより弱者度が高い人を優先するのかについては色々判断が分かれそうです。

しかし杖をついた男性は圧倒的に説明が足りていませんでしたし席に座りたいというより優先席に座っている若者をどかせて「正しい」ことを説教したいという意図が露骨です。

別に優先席じゃなくたって優先席が対象とする人たちがいたら自分自身も体調が悪いなどの事情がなければ席は譲るのがよいです。

揺れる電車で杖をついて立つのが辛いんだったらその旨を伝えたらいいんじゃないかと思うのですが先日亡くなった叶井俊太郎氏の件もあります。

末期がんで辛いから優先席に座っていたのに高齢者からここは健常者が座る席じゃないと咎められ説明するのも辛かった叶井氏は席を立ちました。

お願いされたら周りの目もあったりして断りにくいし体調が悪いなどの個人的な事情も赤の他人に話したくない場合だってあるわけです。

事情は人それぞれで足が悪い腰が痛い等の高齢者だって座りたいというのもあるでしょう。

ただ高齢者という弱者こそ最優先すべきでありそれ以外が優先席に座るのは間違っているというのもどうなのか。

電車は社会の縮図なんて言いますけどバ畜のくたびれた若者と電車の席まで奪っていく独善的な勝ち組高齢者の構図を感じたんですけど弱者で困っているからといって同じく困っている弱者から奪いとることもないだろと思いました。

もっとも電車に乗っている時点で弱者同士であり席の奪い合いとか弱者同士の争いにすぎないと超勝ち組は考えるかもしれませんが席が埋まっている状態で席に座りたいんだったら見た目では判断できなくても辛い状態の人が座っている可能性がある優先席でなくそれ以外の席の人に代わってもらうのが適切ではないかという気もしてきます。

税金の再分配の話でも子育て支援に使うのか介護職の賃上げに使うのか色々ありますが優先席の奪い合いは不毛です。

本来余裕のある勝ち組が座っている席こそ譲ってもらうのが妥当、カネの無い一般国民でなく1億円以上の純金融資産がある富裕層や使わない現金を大量に抱えている大企業からカネを徴収するのが妥当です。

 

まあ社会も余裕がなくなってきましたが通り魔も電車に乗っているわけでもし席に座っていてどのタイミングで事件を起こそうかと狙っているところにいきなり健常者は席を高齢者に譲れという話を言い出した場合はどうなるんだろうか、ものすごく危ないし電車の中で見ず知らずの人に話しかけるのは止した方がいいと思うんですけどいきなり「ありがとう」とか非常に嫌味です。

それがトリガーになって無敵の人が暴発したらどうしてくれるんでしょうか。

遠回しな強制で「ありがとう」と言うのはけっこうなプレッシャーですが余裕のない人も世の中には大勢いるわけです。

そんな人にプレッシャーをかけてより追い詰めたり暴発させたりするようなことは真似しないようにしたいと思います。