献血に行ってきました。
まあ特に何事もなくいつも通りだったのですが日本赤十字の情報誌NT2024年春号をもらいました。
記事をざっと眺めてちょっと気になったのがP14からP17の「やさしい日本語」の話です。
この「やさしい日本語」というのは漢字の「易しい」と「優しい」の両方の意味があるので敢えて「やさしい」は平仮名にしているそうです。
易しいは「簡単」、優しいは「相手を思いやる」という意味ですが日本語が母国語でない人にとって日本で使われる漢字はなかなか難しいですし両方の意味での「やさしさ」が必要になります。
元々1995年の阪神淡路大震災で被災した外国人とのコミュニケーションが円滑に進まなかったので「やさしい日本語」の必要性が認識されたとのことです。
外国人だったら世界で幅広く使われる英語を使ったらいいじゃないといった話もありますが日本には欧米より中国などアジア各国から来ている人の方が圧倒的に多くむしろ英語より複雑でない日本語の方が通じることもしばしばです。
ただそうは言っても日本語が母国語でない点に配慮して平易な日本語が重要になってきます。
このため2020年には行政が「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」を作成しています。
なお海外でも同じで例えば日本人の多くが英語を苦手としていますが英語についても同様に外国人にも簡潔で分かりやすい英語で米国政府等による情報提供が行われているようです。
やさしい日本語はどれくらいやさしいかって機械翻訳ができるレベルとのことです。
ああやっぱりあれでよかったのか。
たぶん読むのは厳しいと思ったので小学生レベルでも理解できそうな平易な日本語の原文を書いて機械翻訳で修正作業をしましたけど何だかんだで日本語文も日本語が母国語ではないけど日本語の学習をしている人であれば読めるかもしれませんね。
そうですか「やさしい日本語」というのは小学校低学年レベルの日本語ですか。
一文が短くはっきりした文章ですしグーグル翻訳で十分対応はできますね。
やさしい日本語のポイントもまとめられていて3つのSが大事とのことです。
機械翻訳を利用した英文作成のポイントですね。
simple(簡単)、straight(はっきりと)、short(みじかく)です。
そうですね。
全くその通りでしたよ。
まずsimpleについて。
日本語には丁寧語、謙譲語、尊敬語がありますが丁寧語に一本化します。
日本人だってそれぞれがごっちゃになって誤用する事例はたくさんありますし外国人にしたら無理ゲーですね。
思いやりの必要性の観点からこれら3つの敬語がありますがきちんと使えないなら無理に使わないほうがよいでしょう。
思いやりの敬語のはずが逆にコミュニケーションの障害になってしまうのであればむしろ使わない方が思いやりというものです。
丁寧語をきちんと使えばそれで十分です。
日本人しか知らない言葉や表現を使わないのも重要です。
記事ではオノマトペは使うな、具体的に言えと言っていて傷がズキズキするが例として挙げられていますがズキズキって日本人だったら通じるとして外国人がズキズキという痛みを表す表現を知っているとは限りません。
漢語と和語がありますがこれも和語に一本化する、中華圏以外の外国人の場合「逃げる」は知っていても「避難」は知らない若しくは読めない可能性があります。
カタカナ語も使用しないほうがいいですが和製英語も同じことですね。
外国から入ってきた言葉ではあるけれどカタカナで表現される和製英語もありますが外国で日本の和製英語が通じないという事例も少なくありません。
日本に来た外国人に和製英語を話したって理解できるとは限らないのです。
straightについて
言いさし文というはっきり最後まで言わず相手に察して貰う言葉もあります。
具体例として「あの、こちらでの電話はちょっと…」という一文が示されていますがこれは日本だとはっきりここで電話をするなというと角が立つ、思いやりの観点から言いたいことを最後まで言わず相手にやんわり伝える表現例です。
ただ上述の通りこれは相手がこちらが言いたいことを察する程度の日本語及び状況判断力があることが大前提です。
日本語に詳しくない外国人だとか察しが悪い人、判断能力が未発達の子供相手には言いさし文は用いない方がいいですね。
途中まででやめちゃってるけど何が言いたいのか分からないというのではどうにもなりません。
二重否定の表現もまだるっこしいのでやめたほうがよいとのことです。
まあ実際英文にも二重否定の表現はあってこれは日本語も同じ事なんですが英語のテストで二重否定の英文をちゃんと訳せましたか?英作文で書けましたか?
日本人だって英語の二重否定で悪戦苦闘する人が多いんですから外国人だって日本語の二重否定で悪戦苦闘するのは容易に想像が付きます。
shortについて
一文一義で短い文章が重要です。
句読点の無い文章を何行も書くと書いた本人以外は読めないこともよくある話です。
たとえばこのブログですかね。
一文一義で短い文章ばっかりになると文章の流れが悪くなるので何行も使ってだらだら書くのは論外としてもある程度まとめてくれよと思う人もいるにはいます。
ただ母国語以外の言語だと流れるように理解できるとは限りません。
一文一文考えないと理解できないという人もいるでしょうね。
実際英文和訳ではカンマが複数個あった文章に苦労させられました。
ぶつ切りの短文が続くのは日本語だと読みにくいんですけど英語が苦手で一文一文訳しながら読む人にとってはとにかく一文のレベルを下げて貰わないと非常に読みづらいわけです。
一文に2つも3つも言いたいことを詰め込んでも機械翻訳をしてそれを逆翻訳したら原文とは違う文章が出てきてしかも意味不明だったこともありました。
これも無理に一文にまとめないで短い文を積み重ねていくスタイルの方がよいですね。
日本語が母国語でない外国人対応をする、手紙を出すということであれば機械翻訳するのに便利なやさしい日本語を覚えておくのも一案です。
…とはいえやさしい日本語で小説なりエッセーなりを書くとなるとけっこう制約は大きいです。
3種の敬語、オノマトペ、二重否定、言いさし文は表現方法としてもよくあるものですし日本で使われるカタカナ語も漢語も日本が遣唐使だとか文明開化で中国文明や欧米文
化を受け入れてきた歴史でもあります。
日常に溶け込んでいる言葉を全部和語に修正して伝えることができるかというとこれも難しいものがあります。
なんでサインがそのままカタカナ英語で通じるようになったのかは不明ですがポータルサイトとか和訳したら玄関になるホームページですかね。
余計に分かりにくくなっちゃうんですけど。
とにかく外国人に伝えるのがメインであればやさしい日本語で伝えるべきですがやっぱり小学校低学年レベルの表現方法で小説だとかエッセーを書くのは大変そうです。
そのあたりは使い分けしていきたいかなと思いますね。